アクアソイル工法の屋上緑化と造園工事株式会社イケガミ

BLOG空から森が見える日まで

2021.12.15 その他

古典落語にみる依存症

芝浜の季節になりました。

「また夢になるといけねえ」のサゲは、アルコール依存症患者がたった一滴でもアルコールを口にしたらスリップしてしまう厳しい現実が、実は古い時代から認識されていた証ではないのか、最近そんなことを考えます。

「文七元結」の左官の長兵衛は博打にのめり込んで娘を女郎屋に預けるまで「底打ち」してギャンブル依存症からの決別に踏み出します。
「唐茄子屋政談」の若旦那、徳兵衛は吉原通いが過ぎて勘当されて、川に飛び込もうとするところまで追い詰められて、「依存」から立ち直ろうとします。
噺では長兵衛も徳兵衛も、窮地で手にした金を自分より困っている人にあっさり恵んでしまいます。このあたりが「業の肯定(立川談志師匠の論だったか…)」を笑いと涙に変換する古典落語の真骨頂なわけですが。

「人は何かに依存しなければ生きていけない」よく目にするフレーズですが、だとすれば私は何に依存しているのでしょうか。仕事かな?いや違うな。

忙しさにかまけてせっかくリニューアルしたサイトでブログを更新していないことに気づいて、思いつくままに書いてしまいました。

ちなみに依存症や最新のメンタル問題について正しい情報が知りたい、という方は下記のサイトが参考になります。

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